辛坊治郎がヨット遭難事故の全貌を語る!体感!奇跡のリアルタイム4
辛坊治郎さんが、2018年3月30日放送の日本テレビ系列「生死を分けたその瞬間 体感!奇跡のリアルタイム4」にMCとして出演しました。
この番組は、命の危機にさらされた場面から奇跡的に生還した人の事件・事故を紹介する内容で、当時の映像や再現ドラマを交え、臨場感を味わえる内容になっています。
そして、辛坊治郎さんが、2013年6月に起きたヨット遭難事故について、その全貌を告白しました。
当時は語られなかった真実も明らかにされるので、必見です。
辛坊治郎ってどんな人?
辛坊治郎さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 辛坊治郎(しんぼうじろう)
【生年月日】 1956年4月11日
【出身地】 大阪府岸和田市
【血液型】 AB型
【身長】 ※非公表
【趣味】 ヨット
【高校】 埼玉県立川越高等学校卒業
【最終学歴】 早稲田大学法学部卒業卒業
【会社】 株式会社大阪綜合研究所
辛坊治郎さんは、1浪して早稲田大学法学部に入学し、3年生の時に司法試験に失敗しました。
そのため、就職することにし、埼玉県庁の上級職合格と住友商事の内定を受けます。
しかし、早稲田大学の就職部の掲示板で、フジテレビのリポーター・アナウンサーの募集を見つけ、受けるだけで1000円もらえるとの条件に釣られて入社試験を受けたところ、最終面接の3人/1300人に残りました。
結局、フジテレビのアナウンサー試験は不採用となりましたが、この結果を聞きつけた読売テレビからアナウンサー試験の受験を勧められ、見事に合格して読売テレビでアナウンサーの道を歩むことを選択したのです。
その後は、「ズームイン!!朝」や「ズームイン!!SUPER」で顔を売り、「たかじんのそこまで言って委員会」でやしきたかじんさんと共にMCを担当して、全国的に知られるアナウンサーとなりました。
読売テレビを退社した現在は、フリーアナとして活躍する他、株式会社大阪綜合研究所代表や芦屋大学客員教授を務めています。
辛坊治郎のヨット遭難事故
辛坊治郎さんは、2013年6月に、全盲の岩本光弘さんをサポートする形で、福島県いわき市・小名浜港をスタートしてアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴにゴールする「ブラインドセーリング」に挑戦しました。
「ブラインドセーリング」とは、簡単に言うと、視覚障害者がヨットを操船し、晴眼者が指示を出すスポーツです。
辛坊治郎さんは、若い頃からヨットで太平洋を横断したいという夢を持っていたので、順調な仕事に穴を空けてでも挑戦せずにはいられなかったのでしょう。
2013年6月8日に大阪市内のヨットハーバーを出て練習を重ねました。
55日間の航海で、サンディエゴに到着予定は8月です。
そして、多くの人に見送られながら、6月16日に福島県いわき市・小名浜港からスタート。
しかし、6月21日7時45分頃に宮城県・金華山の南東約1,200km沖合でマッコウクジラと思われる巨大な物体に衝突し、浸水で航海を続けられなくなったので、海上保安庁に救助要請して、救命ボートで避難しました。
悪天候により、救助は難航しましたが、18時14分頃に二人とも無事に救助されています。
助かった二人ですが、救助費用に1000万円以上の税金が使われたことが伝わると、非難されることに。
さらに、台風シーズンで天候が悪い時に無理にスタートしたこと、間寛平さんがアースマラソンの時に使った「エオラス号」を使用していることから、「日本テレビ・24時間テレビの企画ではないか?」と疑われました。
条件が揃い過ぎているので疑われても仕方ないでしょう。
その後、辛坊治郎さんは、「日本水難救済会」に500万円の寄付をしています。
辛坊治郎が助かった理由
次の理由により、辛坊治郎さんは無事に救助されました。
- 日が長い夏至の日で発見しやすかった
- 夕方の凪を待った
- 海上自衛隊がマニュアルを変更し、救助を急いだ
辛坊治郎さんは、救助された時にもらった海上自衛隊第71航空隊のワッペンを肌身離さず持っています。
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