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多田純一 遭難!日帰り登山のはずが14日間のサバイバルに


両神山の滝

2021年6月7日放送のNHK総合1『逆転人生』のゲストは、山で一人遭難して、あめ玉7個で14日間生き抜いた多田純一(ただじゅんいち)さんです。

テレビやネットのニュースで、「登山者が遭難して行方不明になり、救助作業が行われている」と報道されることがたまにありますが、多田純一さんも2010年8月にそれを経験しました。

自らのミスによって山で遭難して命の危機に瀕しながらも、奇跡的に救助された多田純一さんの事故に迫ります。

多田純一の遭難事故

当時30歳で東京都大田区の会社員だった多田純一さんは、登山歴1年で、「今まで登った山よりも高い山に挑戦したい!」との思いから、2010年8月14日の朝、埼玉県の秩父市・小鹿野町にまたがる標高1723メートルの山である『両神山(りょうかみさん)』に一人で入りました。

母親の三八子さんには、「くさり場のある、秩父の百名山に登ってくるね」と伝えましたが、登山ポスト見落とし、登山計画書(登山届)を提出し損ねるミスを冒したことで、その後、窮地に追いやられます。

さらに、途中で二手に分かれている道で、「下りは別のルートを進もう!」と考えるミスを冒したことで事故に遭いました。

別のルートを進んでいた多田純一さんは、次第に未整備の荒れた道になっていくことに焦って足を取られ、崖を転がり落ちます。

沢まで転がり落ちてようやく止まりましたが、左足は激痛が走り、よく見ると折れた太い骨が皮膚を突き破って飛び出して、そこから血が噴き出していました。

出血を止めるために、シャツを割いた布や携帯灰皿のひもで縛りましたが、できる処置はそれだけ。

歩くことはできず、大声で叫んでも誰にも届かず、携帯も圏外です。

遭難2日目になっても左足の出血が止まらないので、映画で観たことがある熱したナイフで傷口を焼いて出血を止める方法を激痛に耐えながら繰り返して何とか出血は止まりましたが、遭難3日目には数十匹のウジ虫が湧いてしまいます。

さらに、遭難3日目にして、唯一持っていた7個のあめ玉を食べきってしまったので、それ以降は、空腹を凌ぐためにアリやミミズを食べ、喉の渇きを癒すためにペットボトルに入れた自分の尿を飲みました。

この頃、山の麓では多田純一さんの捜索活動が行われていましたが、登山計画書(登山届)を提出しておらず、唯一の手掛かりは母親が覚えていた「くさり場のある、秩父の百名山に登ってくるね」という言葉だけです。

それだけでは場所を絞ることができず、捜索活動は難航しました。

しかし、ボランティアで遭難者の救助をしていた山中豊彦さんの発案で捜索チラシを作ると、遭難9日目にして西武秩父駅前のレストランの店員から有力な目撃情報が入り、防犯カメラの映像をチェックした結果、多田純一さん本人であることが確認できたのです。

これをきっかけに、交通系ICカードの記録から両神山に入ったことが判明します。

遭難10日目には、雨で沢が増水して溺れかけ、リュックが流されてしまいましたが、岩に這い上がって命は助かりました。

そして、遭難14日目に流されたリュックが見つかり、その後、隊員2人に救助されたのです。

多田純一さんの左足は完全に腐っており、切断やむなしの状態でしたが、埼玉医科大学国際医療センターが左足の太い骨を取り除き、右足の細い骨を移植する手術を成功させ、自分で歩けるまでに回復しています。

ただし、左足は右足より1.5cm短く、感覚がない部分もあるそうです。

ちなみに、多田純一さんは事故当時に付き合っていた妻と32歳の時に結婚し、2人の子供に恵まれています。


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