木村和司の現在!病気で右半身麻痺でもサッカーを諦めず
木村和司さんは、元サッカー日本代表の10番であり、Jリーグで選手と監督経験があります。
長い間活躍してきた元プロサッカー選手ということで、病気とは無縁の健康的な生活をしていると本人も家族も思っていましたが、2015年1月20日に倒れ、病院で脳梗塞であることが判明しました。
幸い、命は助かりましたが、病魔は右半身に麻痺を残すことに。
それでも諦めず、再びボールを蹴るために、賢明にリハビリを継続しています。
そして、2017年10月13日放送のTBS系列『爆報!THEフライデー』で、現在の様子を公開しました。
そんな木村和司さんの素顔や病気について迫ります。
木村和司ってどんな人?
木村和司さんのプロフィールは、次のとおりです。
【名前】 木村和司(きむらかずし)
【生年月日】 1958年7月19日
【出身地】 広島市南区
【血液型】 O型
【身長】 168cm
【体重】 64kg
【高校】 広島県立広島工業高等学校卒業
【最終学歴】 明治大学政治経済学部卒業
【会社】 有限会社シュート
木村和司さんは、明治大学卒業後の1981年、日産自動車サッカー部に入りました。
高校時代から名選手でしたが、チーム編成により攻撃的MFにコンバートされると、さらにその才能を開花させ、1986年には、日本人で最初のプロ契約を結びます。
そして、1985年メキシコワールドカップ最終予選・韓国戦では、今も伝説として語り継がれている25メートル直接フリーキックを決めました。
選手時代に獲得したタイトル・記録は、1983年と1984年の二年連続日本年間最優秀選手賞受賞や国際Aマッチ6試合連続ゴール、日本リーグ優勝、天皇杯優勝など複数で、まさに、日本人を代表するサッカー選手であったことは間違いありません。
1993年にJリーグが開幕し、残念ながら、1994年に現役引退となりましたが、もし日本でもっと早くにプロリーグができていれば、もっと有名な存在になっていたことでしょう。
引退後は、1997年にS級ライセンスを取得して、2000年から2001年までフットサル日本代表の監督を務め、その後は、サッカーの解説、サッカースクールの運営を経て、2010年・2011年は横浜F・マリノスの監督を務めました。
しかし、結果を残すことができずに監督を解任させられ、再び、サッカー解説者をしています。
木村和司 病気の原因と現状は?
木村和司さんは、現役時代に「ミスター・マリノス」と呼ばれていたほどのスター選手であり、当然の流れとして、2000年と2001年に横浜F・マリノスの監督を務めました。
しかし、自分が選手時代にできていたことが現役選手にはできず、また、チームも低迷していたために、イライラした日々を過ごすことになります。
そのストレスを発散させるため、甘い食べ物・飲み物をたくさん口にしていたのですが、ある日、病院で、「重度の糖尿病だから入院が必要」との診断が告げられたのです。
それでも、入院はせず、インスリンを打って生活していました。
そして、成績低迷を理由に、監督を解任させられます。
これで体調が回復すれば良かったのですが、監督時代に壊した体調は完全には戻らず、2015年1月20日に脳卒中という形で木村和司さんを襲ったのです。
幸い、近くに病院があって早く治療を受けられたため、命は助かりましたが、右半身麻痺が残り、ベッドから右手や右脚が落ちていても気付かない状態になりました。
現在は、治療とリハビリにより、箸を使える状態までに回復し、サッカーボールを蹴ることを目標に、再び監督になることを夢に、リハビリを頑張っています。
ちなみに、2016年12月29日には、共に日本サッカーを支えてきた親友・ラモス瑠偉さんも同じ脳卒中で倒れ、木村和司さんは、「早くよくなって欲しい」と激励しました。
そのラモス瑠偉さんは、すぐに元気になり、仕事に復帰しましたが、味覚と嗅覚が変わって苦労しています。