激レアさん!古谷敏 初代ウルトラマンの中の人!プロフィールと現在
2020年2月15日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、初代ウルトラマンの中の人である古谷敏(フルヤビン)さんです。
ウルトラマンは、日本人なら誰もが知るヒーローですが、変身して巨大になった後の着ぐるみの中には、演者とは違う別の役者が入ってウルトラマンを演じています。
この職業が、スーツアクターです。
古谷敏さんは、嫌々、初代ウルトラマンのスーツアクターとなり、ウルトラマンの基本的な動作や必殺技をその場のアドリブで作り出しました。
ウルトラマンを国民的ヒーローにした一人である古谷敏さんの素顔に迫ります。
古谷敏ってどんな人?
古谷敏さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 古谷敏(ふるやびん) ※本名:古谷敏(ふるやさとし)
【生年月日】 1943年7月5日
【出身地】 東京都港区西麻布
【血液型】 AB型
【身長】 180cm
【趣味・特技】 テーマを決めての食べ歩き、空手道、タップダンス
【高校】 ※非公表
【事務所】 シンビンプロモーション
古谷敏さんは、初代ウルトラマンの中の人です。
その後、『ウルトラセブン』のアマギ隊員として活躍しました。
古谷敏が初代ウルトラマンのスーツアクターになった経緯
古谷敏さんは、東宝演劇学校卒業後、東宝第15期ニューフェースとして東宝に入社しました。
将来の夢はメロドラマに出演する俳優になることで、そのためにエキストラや端役を演じる日々が続きます。
そんなある日、新たに設立された『円谷プロ』が、「特撮番組『ウルトラQ』のケムール人を演じられる背が高くてスケジュールの余裕がある人」という条件で役者を探し始めたのです。
そして、業務提携を結んでいた東宝により、古谷敏さんはケムール人の着ぐるみに入ることを命じられたのです。
役者志望であり、アクション経験もないため、すぐに断ると、「1回だけ」「何もしなくてもいい」と強引に押し付けられます。
嫌々、ケムール人の中に入った古谷敏さんは、その後、円谷プロに「今度は主役」と声を掛けられ、話が進むにつれて初代ウルトラマンのスーツアクターであることを知りました。
当然、「話が違う!」と押し問答になりましたが、またも円谷プロに強く頼まれ、やらざるを得ない状況になります。
こうして、初代ウルトラマンのスーツアクターになった古谷敏さんは、何も定まっていなかった初代ウルトラマンの設定に対し、その場のアドリブで「構えるポーズはジェームズ・ディーン」「猫背にする」「スペシウム光線のポーズ」など考えました。
つまり、古谷敏さんが初代ウルトラマンの基本的な動きを定め、大人気になったのです。
その一方で、役者なのに顔を出せない苦悩やケガ、体力の限界により、初代ウルトラマンのスーツアクターを辞めることを真剣に考えたことがありました。
それでも、撮影に向かうバスの中で、子供たちがウルトラマンの話を楽しそうにしている姿を見て奮起し、最終回までやり遂げています。
古谷敏、『ウルトラセブン』のアマギ隊員に抜擢!その後転落、そして現在は?
初代ウルトラマンのスーツアクターをやり遂げた古谷敏さんに対し、そのご褒美として、『ウルトラセブン』のアマギ隊員役が与えられました。
そして、『ウルトラセブン』が最終回を迎えてしばらくすると、古谷敏さんは俳優を辞め、イベント企画・運営会社『ビンプロモーション』を設立します。
このビンプロモーションの事業は、全国を回り、古谷敏さんがアマギ隊員を演じる怪獣ショーを披露することです。
しかし、バブル崩壊の影響を受けて事業が上手くいかなくなり、会社は破産、一家離散寸前の状況になります。
その後、目黒区内の4LDKマンションから築数十年の木造3DKアパートに引っ越し、仕事は複数の清掃会社を掛け持ちする苦労時代が続きました。
それでもめげることなく頑張ると、2009年に俳優に復帰し、2016年にイベント会社『シンビンプロモーション』を設立しています。
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