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激レアさん!益田祐美子の映画作品は?娘のために主婦で映画製作


2018年10月29日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、ゴネた娘のご機嫌を取るために、主婦でありながら映画を製作した益田祐美子(マスダユミコ)さんです。

普通、映画製作に携わるなら、「映画に関する大学の学部や専門学校に進学して学ぶ」「映画製作会社に勤務する」「映画プロデューサーに弟子入りする」といった進路を歩みます。

しかし、益田祐美子さんは、映画製作の知識が全くない素人主婦だったにもかかわらず、映画プロデューサーになりました。

しかも、小規模な映画ではなく、世界で評価されており、今までに10作品以上をプロデュースしているのです。

そんな益田祐美子さんの素顔と映画作品に迫ります。

益田祐美子ってどんな人?

益田祐美子さんのプロフィールは、次のとおりです。

【名前】 益田祐美子(ますだゆみこ)

【生年月日】 1961年

【出身地】 岐阜県高山市

【高校】 岐阜県立斐太高等学校卒業

【最終学歴】 金城学院大学卒業

【職業】 『株式会社 平成プロジェクト』の代表取締役、映画プロデューサー

益田祐美子さんは、岐阜県高山市で和風旅館を営む両親の間に生まれ、実家の商売柄、初対面の人とも臆せず話せる外交的な性格に育ちました。

成長し、岐阜県立斐太高校、金城学院大学と地元の学校に進学すると、大学生の時には、研究した「高齢者用商品開発への提言と実際」が、商品研究大賞を受賞します。

さらに、NHK岐阜・名古屋で、ニュースや子ども向け番組に出演しました。

才能の片鱗を見せながらも、その後、結婚して普通の生活を送っていた益田祐美子さんは、夫が東京に転勤になったことで何かやろうと考え、オファーがあった生活情報を紹介する記者になります。

しかし、仕事を始めて約1ヶ月で、出版社は倒産の危機に瀕することに。

この時、夫の給料で生活できる余裕を活かし、「給料はいらないから、記事を書かせてほしい」と頼み、医療・美容に関する内部告発の記事を書いたことで、医療用具メーカーや化粧品メーカーがスポンサーにつき、出版社は会社組織化し、益田祐美子さんも株の半分を得ました。

このことで、益田祐美子さんは、最終的に3000万円を手にしたのです。

時は過ぎ、2000年4月、益田祐美子さんが40歳の時、娘を児童劇団に預けて記者の仕事を続けていると、児童劇団が勝手に映画のオーディションに応募してしまい、合格します。

その付添いで青森まで行くと、寒くて、待ち時間も長く、内容が不倫ということで、娘が「こんな映画はいやだ、私降りる」と駄々をこねました。

「このまま娘が降板すれば大きな迷惑がかかる」と考えた益田祐美子さんは、「ママの貯金であなた主演の映画を作ってあげるから」と説き伏せ、娘に演技を続けさせます。

そして、撮影が終わると、娘から自分主演の映画製作の催促をされ、貯金の3000万円を使って映画を作ることにしたのです。

自宅近くにあったイラン人が経営するペルシャ絨毯店で、自分が仲介して100万円の絨毯が売れたことがあったことと、祇園祭の鉾にペルシャ絨毯がかけられたことがあったこと、これらに自身の故郷にある飛騨高山祭りを絡め、日本とイランの子供が心を通わせる内容の映画に決めました。

ただ、東宝や東映などの映画製作会社に相手にされなかったのは言うまでもありません。

仕方なく、イランに直接行って、『運動靴と赤い金魚』でアカデミー賞外国映画賞を獲得したことがあるマジッド・マジディ監督に説明すると、熱意が伝わり、一緒に映画を作ることになりました。

実際、映画製作になると、「当日に撮影中止」「9.11同時多発テロで、映画製作自体がなくなりそうになる」「資金3000万円では足りなくなり、スポンサーから1億2000万円集める」などのトラブルがありましたが、2003年に『風の絨毯』が完成。

『ファジール国際映画祭・ベスト観客賞』などの賞を受賞し、その地位を確立しました。

益田祐美子さんは、その後も映画プロデューサーを続け、たくさんの作品を生み出しています。

益田祐美子Pの映画作品

益田祐美子さんが携わった映画作品は、次のとおりです。


風の絨毯
(2003年)

海峡をつなぐ光・・・
(2011年)

李藝 最初の朝鮮通信使
(2013年)

瀬戸内海賊物語
(2014年)

シネマの天使
(2015年)

サンマとカタール・・・
(2016年)

こいのわ 婚活クルージング
(2017年)

一陽来復
(2018年)

その他の作品

  • 蘇る玉虫厨子(2008年)
  • ハイヒール革命!(2016年)
  • ソローキンの見た桜(2019年)

『風の絨毯』は、知り合いになった工藤夕貴さんの母親を通じ、工藤夕貴さん、三國連太郎さんにも出演してもらえましたが、娘さんは、プロデューサーが母親で自分が主演に選ばれることにストレスを感じ、オーディション直前に辞退しました。

それでも益田祐美子さんは映画を完成させ、タダの主婦からこれだけの数の映画を製作する映画プロデューサーになり、しかも、世界的に高く評価されています。


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