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激レアさん!丸山龍也 サッカー日本代表入りを諦めない


 

丸山 龍也さん(@ryuya_maru)がシェアした投稿

2018年3月19日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、上手くないのに海外組としてサッカー日本代表入りを諦めない丸山龍也さんです。

Jリーガーになるだけでも、高校・大学時代から大活躍しなければならず、ましてや日本代表に入るなら、Jリーグや海外リーグで活躍しなければなりません。

学生時代から日本トップレベルでなければ、プロにも日本代表にもなれないのです。

しかし、丸山龍也さんは、サッカーが上手いと評判になったこともないのに、本気でサッカー日本代表入りを目指しています。

丸山龍也ってどんな人?

丸山龍也さんのプロフィールは、次のとおりです。

【名前】 丸山龍也(まるやまりゅうや)

【生年月日】 1992年7月4日

【出身地】 神奈川県横浜市都筑区

【血液型】 O型

【身長】 172cm

【体重】 67kg

【趣味・特技】 サッカー

【高校】 神奈川県立横浜翠嵐高等学校 定時制入学、通信制の高校に編入・卒業

【最終学歴】 慶応義塾大学法学部中退

【職業】 サッカー選手、その他各種

丸山龍也のサッカークラブチーム経歴

  • 横浜港北サッカークラブ(7~12歳)
  • 横浜市立中川中学校サッカー部(12~14歳)
  • FC COJBジュニアユース(14~15歳)
  • FC COJB(15~18歳)
  • アンソメット岩手・八幡平(18~20歳)
  • ラインメール青森FC(20~21歳)
  • ニューヤングスFC(22歳・スリランカ)
  • FKタウラス・タウラゲ(23~24歳・リトアニア)

丸山龍也さんは、普通のサッカー選手とは違うルートでプロになりました。

大怪我で、一時はプロを諦めたこともありますが、最終的には諦めずに練習と挑戦を続けた結果です。

Jリーグでは通用しないレベルのため、海外でプロサッカー選手になることを考え、また、ゴールキーパー以外どこのポジションもこなすこともサッカー人生に大きく影響しているでしょう。

現在、丸山龍也さんは、サッカー選手を続けつつ、海外でサッカーをしたい人の支援やウェブサイト制作、フリーライター、スマホゲームのシナリオライターなど、さまざまな仕事をしています。

サッカー引退後も、社長や子供へのサッカー指導、世界一周など、やりたいことがたくさんあるようです。

丸山龍也のサッカー人生

丸山龍也さんは、小学1年生の時に、仲が良かった友達がサッカーを始めたことで、自分も『横浜港北サッカークラブ』に入りました。

最初はそれほど本気ではありませんでしたが、小学2年生の時に、シドニーオリンピックの準々決勝アメリカ戦で、中田英寿さんがPKをはずして敗退したのを観て、「サッカー日本代表になって自分が雪辱を果たしたい!」と思います。

しかし、丸山龍也さんはサッカーが下手だったのです。

当然、声が掛かることはなく、中学校のサッカー部に入部しますが、「これではプロになれない!」と思い、サッカー部を退部して、横浜のサッカースクール『FC COJB』に入ります。

そして、毎日、学校から帰宅して『FC COJB』に通う生活を続けた結果、中学3年生の時に、サッカーでブラジルに短期留学を果たしました。

その後、高校は定時制高校に通いながら、昼は社会人クラブで練習していましたが、挫折して、練習に行かない日も多くなります

それでも、『FC COJB』に通う20代半ばの先輩たちの頑張りを見ている内に本気になり、プロのなり方やトレーニングの仕方、食事などを調べ、高校3年生の時に、時間に融通が利く通信制高校に転校したのです。

時間に余裕ができたことにより、バイトをして稼いだお金をほとんどサッカー関係に費やし、自主練の時間も増えました。

さらに、高3の冬に、ベトナムのチームのトライアウトを受けましたが、これは不合格に終わっています。

こうして、プロサッカー選手になることを決意した丸山龍也さんは、帰国後もJリーグや県リーグのチームのトライアウトを受け続け、落ちまくったのです。

それでも、岩手県の『アンソメット岩手・八幡平』から声を掛けられ、セミプロとしてサッカーでご飯を食べられるようになりました。

ところが、試合中に左膝内側側副靭帯断裂と前十字靱帯断裂という大怪我を負ってしまいます。

2回の手術と8ヶ月のリハビリで、担当医から試合出場の許可を得ますが、その練習試合の前半15分に、再び前十字靱帯断裂してしまうことに。

涙を流し、サッカーを諦めることを考え、手術・退院後に通院もリハビリもせずにいた時、祖母から「曾祖母、曾祖父が亡くなって鹿児島の家が空き家になっている」と聞き、鹿児島に行って、アフィリエイトやゲームのシナリオライター、フリーライターなど、パソコンとインターネットで収入を得ることに成功します。

結局、3、4ヶ月の鹿児島生活で心が癒えると、帰って両親に謝り、プロサッカー選手になるという目標が甦ったのです。

2年のブランクがあるにもかかわらず、タイに渡り、13チームのトライアウトを受けましたが、当然、不合格となりました。

これで諦めることはなく、帰国後は、ほとんどバイトもせずに練習を続けた結果、丸山龍也さんのプレイをビデオを観たスリランカの『ニューヤングスFC』から声が掛かり、初めて海外でプロになっています。

ただ、スリランカでは日本代表になれないと考え、フランスに行って手当たり次第にサッカーの監督を知っている人を探したところ、ツアーコンダクターのダルコと知り合いました。

そのダルコが言うには、お金さえ出せば、スロバキアの強豪チームに加入できるとのこと。

先輩にお金を借りて、後はスロバキア行くだけでしたが、前日にオーストリアのホテルでダルコに現金100万円や貴重品を奪われてしまいました。

ダルコは、ヨーロッパを股にかける詐欺師だったのです。

無一文となった丸山龍也さんは、クラウドファンディングで支援を募ると共に、ダルコを探し回り、3日後にセルビアで捕まえましたが、残念ながら、お金は返ってきませんでした。

でも、クラウドファンディングで募金が集まり、リトアニア2部の『FKタウラス・タウラゲ』のトライアウトを受け、見事にプロになります。

目標だったヨーロッパでプロになれた丸山龍也さんですが、リトアニア2部では日本代表になれないと考え、今度は、スペイン2部の『ラージョ・マハダオンダ』のトライアウトを受けました。

この最高峰のスペインリーグの2部で、余りの上手さに衝撃を受け、初めて自分では無理だと実感したのです。

このように、過酷な人生を送ってきた丸山龍也さんですが、薄々無理であることを実感しつつも、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出場することと、海外組みとしてサッカー日本代表入りし、ロシアワールドカップに出場することを本気で考えており、諦めていません。


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