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激レアさん!鈴木浩子 アナウンサーからプロレスラー、政治家に転職


2019年6月22日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、アナウンサーだったのに、破天荒な夫のせいで白塗り着物レスラーとして世界的に有名になった鈴木浩子(スズキヒロコ)さんです。

アナウンサー志望の女子大生は多く、地方局の女子アナウンサーになることも容易ではありません。

鈴木浩子さんは、その厳しい競争に勝ち、地方局のアナウンサーを経てフリーアナウンサーに転身すると、その後、大学生の時から付き合っていた夫と結婚しました。

当然、幸せな生活を思い描きます。

しかし、夫がプロレスラーに転職したことをきっかけに、鈴木浩子さんもプロレスラーになることになったのです。

波乱万丈な人生を歩んでいる鈴木浩子さんの素顔に迫ります。

鈴木浩子ってどんな人?

鈴木浩子さんのプロフィールは、次のとおりです。

【名前】 鈴木浩子(すずきひろこ)

【生年月日】 1975年2月14日

【出身地】 千葉県船橋市

【高校】 國學院高等学校卒業

【最終学歴】 明治大学文学部英米文学科卒業

【職業】 千葉県議会議員

鈴木浩子さんは、アナウンサー、専業主婦、プロレスラー(日本人初のディーバ<女性プロレスラー>)を経て、政治家になりました。

2019年6月時点において、「鈴木ひろ子」名義で、千葉県議会議員として活躍中です。

鈴木浩子がプロレスラーになった経緯

鈴木浩子さんは、千葉県船橋市でクリーニング店を営む両親の間に生まれると、成長して明治大学文学部に進学しました。

明治大学在学中からラグビー雑誌『ラグビーマガジン』の契約記者として活動を始めたことがきっかけで、同大学のラグビー部に所属してラグビー日本代表にも呼ばれたことがある鈴木健三さんと知り合い、大学4年生の時から交際を始めます。

大学卒業後の1998年4月、鈴木浩子さんは福島中央テレビにアナウンサーとして採用され、お天気キャスターとして活躍しました。

一方、鈴木健三さんは東海テレビに入社し、普通にテレビマンとして働き始めます。

その後、鈴木浩子さんは2000年に退職してフリーアナウンサーとなりましたが、このまま同業者同士で結婚して、幸せな生活が続くことを疑うことはなかったのです。

しかし、スーツを購入しに行った際に、鈴木健三さんの体格の良さに目を付けた店長が知り合いの坂口征二さんに連絡を入れたことで、新日本プロレスからスカウトされるようになり、鈴木健三さんが「俺、プロレスラーになる!」と言い出します。

当然、鈴木浩子さんは猛反対しましたが、最終的に鈴木健三さんの熱意に負け、プロレスラーになることを認めました。

すると、鈴木健三さんは、橋本真也さんの付き人を経た後、ラグビーで鍛え抜いた身体を活かして半年でリングに立ち、あっという間に新日本プロレスの人気プロレスラーとなったのです。

そして、鈴木健想に改名し、2003年にWJプロレスに移籍した彼氏にプロポーズされた鈴木浩子さんは、26歳の時にフリーアナウンサーを辞めて、専業主婦として夫を支えていくことを決意します。

ところが、結婚から1年後、夫が突然、「プロレスの本場、アメリカで勝負したい」と言い出し、相談の結果、2人でアメリカに行くことに。

WJプロレスでは3~4ヶ月間無給で、鈴木浩子さんが夫に内緒で貯金を切り崩して生活している状況だったため、お金の余裕はもうありません。

事前交渉もなく、一か八かで行ったアメリカでしたが、鈴木浩子さんがWWEの試合会場を調べて行くと、一度は入り口で止められるも、片言の英語で熱く語る鈴木健三さんに負け、警備が通してくれます。

試合会場の中に入った鈴木健三さんが突然服を脱ぎパンツ一枚の姿になったことで騒ぎとなりましたが、その騒ぎを聞きつけたWWE社長が見に来たことでチャンスが訪れました。

ここぞとばかりにWWE社長に熱く語ったことで、当日の試合に出るように誘われ、その試合で結果を残して契約金500万円でWWEと契約できたのです。

さらに、鈴木浩子さんも「芸者の格好をして、マネージャー役で出場してくれ!」と頼まれることに。

否定的な鈴木浩子さんに対し、夫は夫婦でWWEに出場できること喜び、WWE社長と抱き合いました。

こうして、白塗り着物姿の『ゲイシャガール』としてKENSOのマネージャーを務めることになった鈴木浩子さんは、嫌々リングに上がっているにもかかわらず大人気となり、いつしか、プロレスラーとしてリングに上がるようになります。

その人気の高さから、『ニューズウイーク』の「世界が尊敬する日本人」にも選ばれました。

アメリカでも夫婦で人気になった2人ですが、夫が「俺、もう海外飽きちゃった!」と言い出したことから大喧嘩することに。

結局、2010年に2人で帰国しましたが、プロレス界は冬の時代で仕事はなく、鈴木浩子さんがフリーアナウンサーとして働いて生活を支えました。

そんな時、子供が生まれると、夫が明治大学の先輩から政治家になるように誘われます。

結婚前から鈴木浩子さんが政治家になることを夢見ていることを知っていた鈴木健三さんが、自分ではなく妻を推薦したことで鈴木浩子さんは立候補を決意し、夫婦二人三脚で選挙活動を頑張った結果、見事、2015年に千葉県船橋市の市議会議員に初当選しました。

さんざん夫に振り回されてきましたが、最終的に夫に夢を叶えてもらったのです。

現在、鈴木浩子さんは千葉県議会議員として活躍し、夫の鈴木健三さんはテレビプロデューサーをしています。


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