激レアさん!森昌子 人見知りなのに歌がうますぎて歌手に
この投稿をInstagramで見る
2019年6月29日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、日本人の誰もが知る国民的歌手の森昌子(モリマサコ)さんです。
還暦を迎え、2019年いっぱいでの引退を表明している森昌子さんが、『激レアさん』で自分の芸能人生について語りました。
ほぼすべての歌手は、自分の意志で芸能界に入っていますが、森昌子さんは人見知りでひっそり暮らしたかったのに、歌がうますぎて歌手になったという変わった経歴を持っています。
しかも、引退・復帰をしながら、現在も芸能界の第一線で活躍中です。
そんな森昌子さんの半生に迫ります。
森昌子ってどんな人?
森昌子さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 森昌子(もりまさこ) ※本名:森田昌子(もりたまさこ)
【生年月日】 1958年10月13日
【出身地】 栃木県宇都宮市
【血液型】 A型
【身長】 154cm
【趣味・特技】 歌うこと
【高校】 小野学園女子高等学校入学、堀越高等学校転校・卒業
【事務所】 株式会社おんがく工房
歌が上手いことで有名な森昌子さんですが、ものまねも上手く、フジテレビ系列『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンでもあります。
また、芸能界復帰後は、8歳の「ま~ちゃん」というキャラクターでも活動しており、こんな大御所歌手は他にはいません。
元夫は森進一さんで、長男はロックバンド『ONE OK ROCK』のボーカリスト・Takaさん、次男はテレビ東京勤務のサラリーマン、三男はロックバンド『MY FIRST STORY』のボーカリスト・Hiroさんです。
森昌子の芸能人生
森昌子さんは、音楽が大好きだった父親に厳しく指導されて、幼い頃から歌を歌っていました。
ただその一方で、「定規や分度器を買って」と親に言えず、指や手を駆使して線を引いたり、角度を測ったりするくらい激しい人見知りで、イジメられることも多かったのです。
叔母が、この状況を見かねて、森昌子さんには内緒で、当時大人気だった日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組『スター誕生!』に応募します。
人見知りのため、当然、参加を拒否されると思った叔母は、ワンピースを買ってあげることを口実に中学生1年生であった森昌子さんを有楽町にある『そごうデパート」に連れ出し、購入後、7階で開催されていた『スター誕生!』のオーディション会場で歌わせました。
すると、歌がうますぎて一次審査に合格してしまい、不合格になろうと思って「騙されてやって来た」と告げるも、謙虚であることが評価され、1971年、その歌唱力の高さで初代グランドチャンピオンとなると、さまざまな芸能プロダクションが家に勧誘に来たのです。
厳格な父親は、森昌子さんの芸能界入りを猛反対しましたが、家は貧しく、母親も虚弱だったため、森昌子さんは自分が家計を助ける決意で、父親を説得してホリプロに入りました。
1972年、事務所スタッフの意見を聞いて、札幌オリンピックで活躍した元フィギュアスケート選手ジャネット・リンの髪型にしようと髪を切ったところ、切られ過ぎてモンチッチのようになるハプニングはありましたが、弱冠13歳にしてデビュー曲『せんせい』が大ヒットします。
その後も、『越冬つばめ』で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど、高い歌唱力で次々とヒット曲を出すと、山口百恵さん、桜田淳子さんと共に「花の中三トリオ」と呼ばれ、1985年には『NHK紅白歌合戦』で史上2人目の司会とトリを務めて、国民的歌手としての地位を確立しました。
さらに、歌が上手いことで、美空ひばりさんに目に留まって可愛がられ、お互い「お姉ちゃま」「まちゃこ」と呼ぶ仲になり、レッスンを受けたこともあります。
そして、1986年10月1日に歌手の森進一さんと結婚したことを機に芸能界を引退し、子供には子守歌も歌わない徹底ぶりで、歌手であったことを隠し続けました。
NHKのオファーに根負けして、2001年、『NHK紅白歌合戦』に一夜限りの復活した際は、「ネギとキャベツを買い忘れた」と言い、本番だけに出演して2時間以内に帰宅するミッションを成し遂げたのです。
時が経ち、2005年4月19日に離婚を発表すると、2006年3月27日にホリプロから復帰を果たしました。
2008年には個人事務所『おんがく工房』に移籍し、精力的に活動していましたが、「還暦を迎え、これからは芸能活動以外に時間をかけて、自分の人生を大いに楽しもうと考えた」との理由で、2019年いっぱいでの芸能界引退を発表しています。
関連記事
2018年8月1日放送の『ナカイの窓』は、『住宅』です。家づくりのプロ4人から...
2018年4月17日のTBS『マツコの知らない世界』のゲスト中野瑞樹さんは、長...