ブル中野のプロフィール!人気女子プロレスラーを引退して正体を隠す
2024年4月15日放送のテレビ朝日系列『激レアさんを連れてきた。』のゲストは、プロレスラー引退後にあの手この手で正体を隠していたブル中野(ブルナカノ)さんです。
全日本女子プロレスはかつて存在した人気NO.1の女子プロレス団体であり、多くの人気女子プロレスラーが誕生し、活躍した選手が引退するときは盛大な引退試合で送り出されていました。
しかし、大活躍した伝説的選手であるブル中野さんは、引退試合も引退会見もすることなく、プロレスラーの仲間とも連絡を絶って、忽然と姿を消したのです。
ブル中野さんの素顔と、姿を消した理由、プロレス引退後の人生に迫ります。
ブル中野ってどんな人?
ブル中野さんのプロフィールは、次のとおりです。
【芸名】 ブル中野(ぶるなかの) ※本名:青木恵子(あおきけいこ)
【生年月日】 1968年1月8日
【出身地】 埼玉県川口市
【血液型】 B型
【身長】 170cm
【体重】 115kg ※プロレスラー時代のMAX体重
【趣味】 ダイエット、ゴルフ、パーティー、BBQ、エレクトーン、物作り
【中学校】 川口市立芝東中学校卒業
【職業】 YouTuber
ブル中野さんは、女子プロレスラー歴代最強のひとりと評価されています。
2024年には、日本人女子レスラーとしては史上初めて、WWE殿堂入りしました。
中野恵子がプロレスラーになった経緯
1968年1月8日、埼玉県川口市で生まれた中野恵子さんは、小学5年生の時にアントニオ猪木さんの試合を見て衝撃を受け、プロレスをやりたくなりました。
すると、中学1年生の冬に母親の勧めで全日本女子プロレスのオーディションを受け、見事、合格を果たします。
そして、中学2年生の夏から巡業に同行してスタッフとして活動すると、中学校を卒業した1983年に正式に全日本女子プロレスへの入門を認められました。
中野恵子が悪役レスラーになった経緯
中野恵子さんはアイドルレスラーになることを望んでいましたが、その希望とは逆に、当時、大人気ヒール(悪役)レスラーだったダンプ松本さんに極悪同盟への加入を誘われました。
断っていたものの、上下関係の厳しい女子プロレスの世界ということもあり、断り切れずに加入することに。
それでもまだアイドルレスラーになる夢を捨てられずに、中途半端な気持ちで悪役レスラー・ブル中野を演じていましたが、控室でダンプ松本さんに襲撃されて髪の毛を半分剃られたことで吹っ切れます。
悪役レスラーになる決意をしたブル中野さんは、たくさん食べ、男性ホルモンを注射し、115kgの大きな体を作り上げたのです。
先輩のダンプ松本さんが凶器攻撃を得意とするのに対し、ブル中野さんは悪役レスラーでありながら武器を使用しない正統派の闘いで結果を残し、1990年1月には全日本女子プロレスのチャンピオンを証明する『WWWA世界シングル王者』になりました。
その年の11月に行われた後輩・アジャコング選手との金網デスマッチでは、4メートルの高さから命懸けのギロチンドロップを放ち、今でも伝説の試合としてプロレスファンに記憶されています。
ブル中野、大怪我で絶望!引退試合・引退会見をせずに姿を消す
1997年11月、全女との契約期間を終え、アメリカ遠征中だったブル中野さんは、北斗晶さんとタッグを組み、キューティー鈴木&尾崎魔弓ペアと試合をしました。
その際、ブル中野さんが場外でキューティー鈴木&尾崎魔弓ペアを拘束し、トップロープから北斗晶さんが飛んでボディブレスを仕掛けたのですが、2人に躱されてしまったのです。
飛び降りた北斗晶さんの体重がブル中野さんの左膝にのしかかり、左膝の十字靭帯と内側靭帯の2本が断裂してしまいます。
復帰に1年かかると告げられたブル中野さんは、「1年経ったらプロレスに復帰して活躍することは無理」と判断すると、絶望して「みじめな姿を見られたくない」と思い、引退試合も引退会見もすることなく、解説者や指導者のオファーも断り、プロレス仲間の連絡先も消去しました。
ブル中野、プロレスを引退してプロゴルファーを目指す
29歳でケガにより女子プロレスラーを引退した中野恵子さんは、埼玉県川口市の実家に戻り、お酒に頼った生活をしていました。
しかし、前向きになると、4ヶ月で50kgの減量に成功し、膝の手術を受けてリハビリで歩けるようになります。
そして、2000年の春に単身で渡米してフロリダ州オーランドで女子プロゴルファーを目指したのです。
結局、10年間にわたり日米で努力したものの、プロゴルファーになることはできませんでした。
ちなみに、この時もプロレス仲間とは連絡を絶ったままでしたが、その後、全日本女子プロレス会長の葬儀で再会して復縁しています。
中野恵子、ムエタイ選手の青木大輔と出会い結婚!正体を隠すことをやめる
プロゴルファーを諦めた中野恵子さんは再び実家暮らしを始め、ダイエット目的で近くのムエタイジムに通い始めました。
そこで、15歳年下のムエタイ選手である青木大輔さんと出会います。
青木大輔さんは、中野恵子さんのことを知らず、ネットで検索して凄い女子プロレスラーだったことを知ると、正体を隠している中野恵子さんに、「なぜ立派な過去を隠すの。もっと自信持っていいよ!」と告げました。
その言葉を聞いて中野恵子さんは自信を持ち、正体を隠すことをやめたのです。
この後、2人は交際し、2010年2月に結婚しています。
ブル中野、バー経営や病気など波乱万丈な人生を経てYouTuberになる
結婚した青木恵子さんは、正体を隠すことをやめ、プロレスファンが集まるガールズ婆バー『中野のぶるちゃん』をオープンしました。
さらに、「元ブル中野」としてタレント活動を始め、2012年1月8日に東京ドームシティホールで引退セレモニーを開きました。
しかし、このために体重を増やしたことと、忙しいバーの仕事もあり、左膝を再び悪化させて歩けなくなることに。
医師と相談して、胃の9割を切除する手術を受けて減量することができ、再び歩けるようになったものの、足りない糖質をアルコールで補おうとしたことで体調不良になってしまったのです。
仕事ができなくなり、結局、バーは2019年に閉店。
病院に行くことを後回しにしていた青木恵子さんですが、旦那さんが気付き、連れられて病院に行ったところ、アルコール性肝硬変と診断されました。
即入院で、2ヶ月間の入院を経て健康になり、現在はYouTuberとしてプロレス仲間たちと動画で共演して人気を博しています。
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